ビュー・カメラに持ち替えたことで自ずと変わってきた被写体を、年月をかけてじっくり探求する内に、マイロウィッツはかつて手持ちカメラで身につけたスキルやスピード感を再発見することとなる。
彼は昨年、フロリダへ出かけた。オリンピックを目指しトレーニングをする飛び込み競技の選手を、プールで撮影するためである。飛び込み台からダイブして水面に消えるまでをヴィデオ撮影するのが当初の狙いだったが、撮影を始めてからこれが大きな誤りだったことに気づく。飛び込みの所要時間はほんの2,3秒しかなかったのだ。もっともこれはこれで、ダイバーたちの落下シーンを反復させ、オーバーラップさせた実に美しいヴィデオ作品として完成させている。だがスチール写真を撮影するには、アクションの展開が余りにも速すぎた。むしろ、瞬間を確実に捉えることのできる手持ちカメラにふさわしい被写体だったのだ。
アクションの速度を落とすため、また同時に『出来事』にアトモスフェアを持ち込むため採ったのが、プールの底近くの壁に設置された窓越しに水中撮影するというやり方だった。だがこの場合でも、ダイバーが水面を突き破ってからプールの底へと消えるまで、視野に留まる時間はわずか1/8秒という短さだったという。
この写真では主体である水にダイバーが介在するのではなく、むしろダイバーが主体で、水はあくまでその触媒に過ぎない。つまり、水はダイバーの行為によって初めて生命を得るのである。ある作品では、ダイバーが顔の回りに大きな泡をまといながら水面へと浮上しており、あたかもイカやタコといった頭足類へと今まさに変容しつつあるかのように見える。
別の写真には、小さな赤い点が映っている。マイロウィッツは当初これを工程上のミスと思いこんでいたのだが、実はなんと、飛び込みで発生した泡がいわばレンズとなって光のスペクトルを分解し、赤色として発現したものだったのだ。
水中では奥行きの感覚がほとんど失われる。写真に映る平面という平面は、水の存在にそっくり呑み込まれてしまう。写真を成り立たせる上で、前景と後景との関係性は不可欠な要素だと信じていたが、実はそれすらも放棄できるのではないか…。そう思うに至ったマイロウィッツの目の前には、新たな地平線が開かれた。
それはまさに地平線も水平線もない世界を撮ること、すなわち大地や空気、水や火といった『エレメンツ(生命の根源)』そのものに向き合うことにほかならない。そう、写真家ジョエル・マイロウィッツは今、新たな幕開けを迎えたのである。